人生って短い。
1日の時間が足りない!
と思ったりするのに、ダラダラしちゃったり・・
「これしなきゃ!」
と思うのに
「あ~、遊びたい!」
って思ったり・・・
私って気まぐれで、どうしようもない。
過去にやりたいことをもっとやっていたら、突き詰めていたら変わっていたかもなぁと思いつつ、
今抱える「自分がやるべきこと」に時間を取られて、やりたいことって真剣にできないのかも。
それを選択するのは自分と思いつつ、でも今大事なことだってある。
そのジレンマがあっても、なくても、生きている中で、いつの瞬間も、自分のやりたいことに反対する人は沢山いる。
あれってなんでなんでしょうね。
達成できないなんてわかりっこないのに、人のやることに否定的なの・・
そういう時代だったのかもしれないとも思う。
そういう時代を生きてきた仲間たちで、自分のやりたいことを突き進めていける人たちを本当に尊敬します。
自尊心ってほんとに大事だって今更思う。
私なんて、かつて親に、危うく高校も行かせてもらえなかったかもしれないところでした。
もう今思えばほんっとに笑い話ですが・・・
それは親の、教育への無関心から始まっていました。親自ら私を中学卒業で働かせようとしてたという。。(いつの時代の話だ?みたいな。笑)
それに気づいた私もショックだったけど、担任の先生が普通にびっくりして止めてくれました。
あんだけ色々と塾やらやらされていたのに、なんだその展開は。コントかよw。
しかし弟は男だから、大学行け、みたいな。。
母は女だから?私が長女だから?一つしか違わないのに、なぜか弟を贔屓目でした。
そんなわけで、なぜか色んな事に反対されていたお陰で「自己肯定感」が低い人間として育って行ったような気がします。
勿論そんな私が特別だとも思っていないし、そういう経験をして人生を歩まれている人は沢山いると思う。そして弟は弟で、色々と悩んだと思います。それはなんとなくわかる。
きっと、「母のモヤッとした私に対する否定」というのは、突き詰めると何にも考えていない、どこか感情的なものだったのでしょう。しかしながらこのモヤッとした否定は、私の人間形成に大きく影響しました。
ただ、自分の中の間違った観念を打ち砕いてくれる衝撃的な出来事が成人してからあり、それからようやく少しずつ、ダラダラしながら、人に助けてもらいながら、なのにダラダラしながら(笑)、軌道修正してこれて、今大学も進むことができて(卒業できるかわかんないけどw)、世界中の人たちと一緒に会話できたり、大変なのが楽しいと思えるようになってきました。
もし、自分が自分の友達だったり、親だったら、やりたいことを否定しないな。
頑張れって応援したい。その代わり、苦しくても一つの事に3年以上はやり続けてほしいって言うかな。
私みたくちょいちょい色んなことに手出してると、人生損するわー。
それも「わたし色」かもしれないし、これからじっくりできることが有るかもしれないことは、未知数だから諦めてはいない。
今やりたいことを進めている人は諦めないで頑張って欲しいし、
やりたくないことなのに、やらなければならない状況になってる人は、その
「目の前のやりたくないこと」をまず頑張ってほしいと思う。
やりたくないことを、やり切った時に違うことが見えてくる。
夢を諦めなければ、遠回りで夢に近づけることもある。
いや、遠回りでも必ず近づける。
だから、絶対に諦めないで、今やらなければならないことも頑張ってほしい。
ってこれ、自分自身に言ってるんかいっw(爆)
本当はやりたいのに状況的にできなくて寝かせてるものもある。
最近やっとやりたいことに手を付けてきて感じるのは、最初のころ(今まで歩んできた人生の中で考えてきたこと)と、全く違う野望(目線)が生まれてきているということ。
その野望は、今生きてる間にできないことかなーと思っているし、その方向へ手を付けないとは思っているけど、生まれ変わって次に目指せるならやってみたいことです。
それまでに、今は今できる生き方をしたいと思っています。
命を使うと書いて、使命と読む。今日という日に命をどのように使うか、その因が、未来の結果を作る。
1日の時間が足りない!
と思ったりするのに、ダラダラしちゃったり・・
「これしなきゃ!」
と思うのに
「あ~、遊びたい!」
って思ったり・・・
私って気まぐれで、どうしようもない。
過去にやりたいことをもっとやっていたら、突き詰めていたら変わっていたかもなぁと思いつつ、
今抱える「自分がやるべきこと」に時間を取られて、やりたいことって真剣にできないのかも。
それを選択するのは自分と思いつつ、でも今大事なことだってある。
そのジレンマがあっても、なくても、生きている中で、いつの瞬間も、自分のやりたいことに反対する人は沢山いる。
あれってなんでなんでしょうね。
達成できないなんてわかりっこないのに、人のやることに否定的なの・・
そういう時代だったのかもしれないとも思う。
そういう時代を生きてきた仲間たちで、自分のやりたいことを突き進めていける人たちを本当に尊敬します。
自尊心ってほんとに大事だって今更思う。
私なんて、かつて親に、危うく高校も行かせてもらえなかったかもしれないところでした。
もう今思えばほんっとに笑い話ですが・・・
それは親の、教育への無関心から始まっていました。親自ら私を中学卒業で働かせようとしてたという。。(いつの時代の話だ?みたいな。笑)
それに気づいた私もショックだったけど、担任の先生が普通にびっくりして止めてくれました。
あんだけ色々と塾やらやらされていたのに、なんだその展開は。コントかよw。
しかし弟は男だから、大学行け、みたいな。。
母は女だから?私が長女だから?一つしか違わないのに、なぜか弟を贔屓目でした。
そんなわけで、なぜか色んな事に反対されていたお陰で「自己肯定感」が低い人間として育って行ったような気がします。
勿論そんな私が特別だとも思っていないし、そういう経験をして人生を歩まれている人は沢山いると思う。そして弟は弟で、色々と悩んだと思います。それはなんとなくわかる。
きっと、「母のモヤッとした私に対する否定」というのは、突き詰めると何にも考えていない、どこか感情的なものだったのでしょう。しかしながらこのモヤッとした否定は、私の人間形成に大きく影響しました。
ただ、自分の中の間違った観念を打ち砕いてくれる衝撃的な出来事が成人してからあり、それからようやく少しずつ、ダラダラしながら、人に助けてもらいながら、なのにダラダラしながら(笑)、軌道修正してこれて、今大学も進むことができて(卒業できるかわかんないけどw)、世界中の人たちと一緒に会話できたり、大変なのが楽しいと思えるようになってきました。
もし、自分が自分の友達だったり、親だったら、やりたいことを否定しないな。
頑張れって応援したい。その代わり、苦しくても一つの事に3年以上はやり続けてほしいって言うかな。
私みたくちょいちょい色んなことに手出してると、人生損するわー。
それも「わたし色」かもしれないし、これからじっくりできることが有るかもしれないことは、未知数だから諦めてはいない。
今やりたいことを進めている人は諦めないで頑張って欲しいし、
やりたくないことなのに、やらなければならない状況になってる人は、その
「目の前のやりたくないこと」をまず頑張ってほしいと思う。
やりたくないことを、やり切った時に違うことが見えてくる。
夢を諦めなければ、遠回りで夢に近づけることもある。
いや、遠回りでも必ず近づける。
だから、絶対に諦めないで、今やらなければならないことも頑張ってほしい。
ってこれ、自分自身に言ってるんかいっw(爆)
本当はやりたいのに状況的にできなくて寝かせてるものもある。
最近やっとやりたいことに手を付けてきて感じるのは、最初のころ(今まで歩んできた人生の中で考えてきたこと)と、全く違う野望(目線)が生まれてきているということ。
その野望は、今生きてる間にできないことかなーと思っているし、その方向へ手を付けないとは思っているけど、生まれ変わって次に目指せるならやってみたいことです。
それまでに、今は今できる生き方をしたいと思っています。
命を使うと書いて、使命と読む。今日という日に命をどのように使うか、その因が、未来の結果を作る。
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