親孝行についていつも考えるがうまくいかない。
私が私の人生をしっかりすることが、一番の親孝行なんだろうけれど、
何かできることはないかな、と考えることが常です。
本物と思える哲学を学んでいく度、高い目標を掲げていく度、
それとは違う感覚で生きている一番近い人の事でうんざりしてくる。
嘘つきは苦手だし、
配慮のない軽はずみな言葉を平気で言ったり、約束を守れない人が嫌い。
なぜかって、そういう人が一番近くにいたからです。
でも、意外とそういうのは世の中の常で、
私だって完璧じゃないし、だらしない部分もある。
だから、そういう部分も含めて受け止めて、いいところを探してあげないといけないなって思っている。
ずっと、私が受け止め方を変えなければいけないんだ、と思っている。
べき論がいいとか悪いってことではなくて、
普通に考えて、近くにいる人も受け入れられない(気持ちも理解できない)なんて、結局他の人も、どこかで受け入れられない自分なんでしょ、って思うのでそう考えている。
もちろん、全てを否定しているわけではなく、社交的だったり、よく気がついて先回りしちゃうとか、料理が好きとか、意外とポジティブとか、結構いいところもある。
だからなるべく普段の中で、何か接点がないかいつも考えていた。
つい最近、近所にある「花畑」は実はうちの親が植えていることを知った。
まぁまぁ広い土地で、別の人がやっていたと思っていたのでびっくり。
(しかも家の中にも植物は沢山あるんだし・・)
最近暖かくなってきたからか、その「花畑」はどんどん花が増えている。
そこで、たまたまカメラを持って近所の風景でも写真に撮ろうと思ったところ、
「花畑」を手入れしている母に会って、植えられている花について話を聞いてみた。
あれは、誰かからもらったやつだ、とか、この花は臭いがするから虫が寄ってこない、とか
色々と教えてくれた。
そして、ふと私のカメラを見て言った。
母「あんたいっぱい撮ってる写真っていつもどうしてるの?(紙にプリントしないの?)」
私「(データだから)パソコンの中に保存してるよ」
母「そうなの。今度見せて。そのカメラ、高そうねぇ。私にも撮れるかしら」
母は誰かとどこかに出かけては、写真を撮るのが好きで、よくコンデジで写真を撮っては父にパソコンで現像してもらい、プリントしてお友達に配ったり、花の写真を飾ったりしている。
何の変哲も無い、ごく、ふつーーーーの写真だけど。
そういえば、もう数年前に亡くなってしまった犬の写真も私が成長記録に撮っていたものだが、その中から、結構な量をピックアップしてプリントアウトし、アルバムにしたり、額に入れて飾ったりしている。
(私なんて撮ったら全然見ないのに。笑)
それで、
「写真見せて」
って言われるとは思わなかったので、ちょっと驚いたし、なるほどなぁ、とその言葉について考えたりしてみた。
そうだ、母が手入れした花畑やうちにある花の写真を撮って、それぞれ説明書きなんてつけて、プレゼントしたら喜ぶんだろうか。と考えてみた。
幸い、ポストカードサイズ位の高品質用紙がずっと使わずに残っているまんまだし。
って、そんなことをした時に限って、興味のポイントが相手とずれてて、あんまり受けなかったりするんだけど・・・と思いつつ、今後写真を撮ってみることにした。
久しぶりに写真を撮ったら、私も下手すぎて具合悪くなってくるが、そのうちいいように撮れるだろう・・・と思いたい・・・・。
撮ったものの一部ですが、あやめは全然綺麗に撮れない。
咲いた時点で既にしなっとしてるので、どうやって撮ったらいいか分からなかったり。
今のところ、全部と言っていいくらい、蕾じゃないやつは花びらが立ち上がっていたので、開くのかな。
さて。
果たして、私は親に差し上げるまでやるでしょうか。(笑)
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