師匠の存在

今日、友人から電話があった。

大学の同級生で、仲良くしてもらっている人生の先輩であるお方。
自分の親と同じくらいの年齢のガンコジジイ。
ちょっと変わってておっちょこちょいだけど、物怖じなく誰にでも声を掛けてうるさいくらい喋る。
そんなことをしながら、実は話しかけた人へ光を当ててるすごいおっさん。
受けた授業で隣の席に座ったことで、スクーリングのあいだ中、ほぼ一緒にいることになってしまった。
気が合ったということもあるのかもしれないけれど、私に激励をくれたんだろうな、って思ってる。
周りにしてみれば、
「おっちょこちょいのガンコジジイに振り回されている女子」
に見えたかもしれないが、実際にお世話になっていたのは私の方だ。

夏のスクーリングから帰ってきてからも、たまに連絡が来ていたが、最近忙しいこともあって、「はた」と連絡が途絶えていた。
それで、そろそろ一段落した頃を見計らってメールしてみた。


いつも来る返事は無かった。
身内のいい知らせもあったようなので、そちらで忙しいのかな、と気にしないでいたが、やっぱり気になったので時間を置いてメールしてみた。

そしたら今日、電話があった。
いつもの調子で電話に出ると、ちょっと取り乱したような友人の声だった。
よくよく聞いてみると、体調を崩して倒れたようだった。喋るのも辛そうで会話のできない状態。
幾つか言葉のやりとりをし、これ以上は友人に負担になると判断して、またね。とお互い言って電話を切った。

でもやっぱり気になるので最後に一言、
「じゃぁ、元気になったら連絡頂戴ね」
とメールしたら
「了解」
と返ってきた。


もし、今が100のうち99が駄目になった状態だったとしても、この1の気持ちで友人はまた必ず元気になる、と確信した。

それですぐ、友人を知っている方々へ連絡し、彼を応援してほしい、とお願いした。
みんな即答で力強く快諾してくれた。
すごいなぁ、こんな仲間。
というか、力ある裏切らない人ばかりだから、もうその返事だけで勇気100倍だ。

一方、地元では解決しない問題がまだまだ沢山あって、友人のこともあり、何だか投げ出したい気持ちになった。

でも心を落ち着けて、自分と向き合った時、ふと、師匠と仰いでいる人ならどうするのだろう、と考えた。


だから、沢山友人を励ませと言っていたのか…、
だから、落ち込んでいる暇なんてなかったのか…、
だから、誠実で謙虚で前向きな仲間を沢山作りなさいと言ったのか…、
そして、あなたがそうなりなさい、と言ったのか…


そう考えて、それらの答えを1ミリ位は、体験したような理解したような気がした。

師匠という人を仰ぎ、高い位置を確認することで、自分がどうしたらいいのか決めることができた。
初めて、師匠というものの捉え方を考えたのではないかと思う。
少し心が震えました。

一緒に友人たちと闘っていこうと思う。
投げ出さないで、問題にも向かっていこう。

友人が元気になって、笑って電話が掛かってきたら、皆で一緒に笑って話をしたいと思う。

必ずその瞬間を実現させるつもりだ。


スクーリングの合間に、ゲーテについてのビデオ講演があり、友人と観に行った。
確かにその講演は非常に感動的な内容だった。

会場が暗くなって間も無く、何処からか鼻をすする音が聞こえる。気にして音がする方を振り返ると、なんと隣の友人からだった。

いや、まだ感動的な場面も始まってないし!!てゆーか、講演始まりそうになってるだけだし!
結局、講演中はずっと涙を流していた。

後から伺うと、友人はその当時の事を想像して感極まったようだった。

また、スクーリングには大きく、大事な行事である学光祭があって、これもまた感動的だった。
だが、せっかちでもある友人は、
「終了後のバスが滅茶苦茶混む(と思う)から参加しないで帰る」
と、言ってさっさと帰ってしまった。

学光祭が始まり、様々な出し物が催され、後ろのスクリーンにスクーリング中の写真が、日々を回想するように映し出された。
そして一枚に、突然友人の顔が画面いっぱいに映し出された。
私は一瞬、ポカーンとなってしまった。
どアップ写真は友人の写真の一枚だけで、あとは授業の様子や、引きで数人撮ったものだった。

友人はスクーリング期間中、100人と友好することを目標にしていた。
毎日あの調子だと100人は達成していたのかもしれないが、スクリーンに映し出され、間接的に学光祭に参加したことで、目標の10倍位になったんじゃないか?と、ポカーンとしながら考えていた。
因みに終了後は、学校側の配慮でバスは全く混まずに、無事に帰ることができました。(笑)




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