最近、「自分の生きているこの環境は誰のもの」と考える。
もちろん、自分の人生を生きている自分の環境でもあるが、支えあって生きている他者の環境でもあることは歴然だ。
未熟な人間であるから、自分にとって苦手な人もいる。
しかし、よくよく考えると、「苦手な人」とは「コミュニケーション不足の相手」とも言える。
お互いが理解できない、または一方が理解できないから苛々する。
私にも往々にしてそんなことがあった。というより今でもだ。
そんな些細なことに苛々していた矢先、自分の状況について話す機会があり、多少話したところ、
「そんな状況だったんだ!」
と驚かれた。
私にしてみれば、
「えー、今迄も説明してたよ…」
と、悲しくなったのだが(笑)、同時に
「やはり理解されていなかったんだ」
と確信した。
中々意思疎通がうまくいかない事にヤキモキしていた自分の心がスッキリした。
そして、過去にうまくいかなかった出来事にも、うまくいっていた出来事の暗黙の理由にも、思考を馳せた。
結局は、自分が熱心にコミュニケーションを取っていくに他ならない。
良かれと思って行動するなら尚更のこと。
相手の善意が無駄にならない為にも、自分自身が「相手を理解できる自分」に変わってゆくこと、
自分本位の思考ではなく、他人の視点でも考えてみること、なのかなと感じた。
お互いにそう考える事ができるのなら、善意が善意を呼び、もっと強靭な関係、結果を築くことができるのではないでしょうか。
私は地域の方、職場の方、家族など、あらゆる環境の縁する人に大変助けられていると、常に感じる。
だから尚更、良好な関係を保っていきたい、というか、相手の行動する環境においても、最適であって欲しいと心から願う。
真剣に行動している時は愚痴など出ない。どうにか解決しようと知恵を絞る。
愚痴には他者を思いやる心はない。それどころか自分さえも破壊していく。
どんな状況でも、他者を重んじる、敬える自分でありたいと自戒する。
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