傲慢な心、鍛えた心

先日、やはり体がおかしいな~と思って、温泉に行ってきました。
そこで、塩もみのリンパマッサージをしてもらうことに。
塩の粒が粗いので最初は肌がこすれて負けるかなぁと思っていたのですが
やっている間に刺激に慣れて気持ちがよくなってきました。

昨年にぎっくり腰を一度やってから、そちらの筋がある体半分の調子が全体的に悪い。
と言っても、明らかに運動不足かな~と思うし、病院に行っても
湿布だけ渡されるなら徒労かなと。(うちには腰の湿布ならいっぱいあるし)
今のところ大したことない(と思っている)のでこの調子の原因がわかるのは、
西洋医学なのか、東洋医学なのかよく分からなかったり。
マッサージ中に足つぼへ移行し、
「ほら~調子悪いとこ全部痛いでしょ~~、ココとかココとか!!」
と楽しそうに指摘され。(笑)
そんなツボ知らなかったので後でネットで調べたところ、調子の悪いそのツボでした。
そして、「なんでこんなヘンなとこ(ツボ)痛いんだろ」と気になっていたところも、そのツボでした。
足つぼスゲェェェェェ!でもそれ自分で押してて治るもんなのかな?
病院に行くのも大事だけど、まず日常生活の改善から・・。
周りからしきりに進められていた「アレ」をようやく実行することになりそうです・・。


以前の記事にも紹介した、私が長く読んでいる小説を読み進めました。
2冊分一気に読んでしまい、(1冊は読みかけの半分)「そんなに内容薄かったのかな」
と思っていたのですが、時計を見るとかなりの時間が過ぎていました。

1冊目の後半は、「慢心」について書かれていました。
教えを実践する弟子達が、師匠から離れて行動しているうちに心に慢心が起き、
師匠の教えを自己流にしてみたり、周りにちやほやされたり自分の実績ができる度に
『自分は偉いもの』と勘違いし始め、時には内部でいざこざが起きたりします。
一方では、耐え難い苦難に耐え抜いている人達もいて、対照的に描かれている為、
読んでいる側にも、「これが裏切りに繋がるんだ・・・」と読み取れて心が痛くなります。

学んでいる当初は誰もが純真な心だったはず。しかしながら様々な縁によって、
自分の心が躍らされ、行動になり、道を間違っていく姿。
策略ならまだしも、自分や周りに対する「慢心」や「驕り」の心が、折角の良き縁にも
『道をそらしてしまう自分自身』になってしまうかもしれないと感じました。
決して他人事ではありませんね・・・。
常に謙虚と感謝の気持ちを持って。。


2冊目は「鍛えぬいた心」と「求道心」について書かれていました。
以前の記事で紹介した刀はとうとうできあがり、どの人が見ても素晴らしく、
命のこもった納得の品物になりました。
その刀について一悶着あったのですが、刀と一緒に心を鍛え抜いた刀鍛冶は
人間としてめざましい成長を遂げ、その心が周囲の人の心までも変えてゆきました。

人間は苦難の中に挑戦すれば、「苦難の後に達成したもの」を得ることができます。
そうして、もし自分の意図に反する結果になったとしても
「目標に進んでいく苦難の中での経験や知恵」を得ることができます。
目標を達成すれば、その二つを手に入れる事ができます。
それは行動なしには得られないものなのですよね。。

「求道心」については、どのような苦難の中にあっても真っ直ぐに求める心があれば
得られる事ができ、体得した時の感動、感謝の念が描かれていました。

感動で一気に読み終わってしまってこれで長編小説もあと半分の所まできました。
今までちょこちょことしか読めなかったのですが、今回一気に読んだことで気がついた事があります。
この小説は基本的に、ある人物の生涯について書かれたものですが、重きは
その人物に関わった事での周りの人達の変化、まさに「人間革命」について
書かれた本なのではないだろうか、と。
改めて凄い小説だな、と感じました。読み終わるまであと半年位かかるかもしれませんが、
恐らくまた読み返すと思います。そして人生の指針の一つとして自分を戒める為に。






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