一段上の高みへ




ブログのタイトル・・・若干どうしようか迷っています。
「My life log」にしていたのですが、ググったら結構たくさんあるのね。
それでまぁみんなにシェアしたい、という気持ちもあるから
「Our life log」にしたら、うーん、ちょっとわけわからない感じ?(笑)
暫く彷徨っていると思いますが気にしないでください。
そのうち全然違う名前に変わっているかも。


昨年から少しずつ読んでいる小説があります。全20巻くらい?今半分くらい。
その小説の中の登場人物が、泣けるほどいい人というか、できた人ばかりで。
悪い人も悪い人なりの苦悩が書かれていて、すごく読み応えがあるというか、
実社会にあてはめても、非常に勉強になっています。
また、この小説を読んでいると心が洗われて泣いてしまいます。だから早く読み進めたい
のと、読み終わりたくない気持ちでいっぱいです。でも読み終わったらまた読む。(笑)

このような素晴らしい描写のある小説を書ける人の人格が素晴らしいと感じます。
あんまり作者の方の情報を知らなかったので、wikiさまで調べてみたら、なんと・・・
中学校中退(かなり昔の方なので生活的な事情があったかもしれません)。
でも新聞社の記者をやっていた方のようです。
人生って学歴じゃないですね。心意気です。
・・・私の場合は学校に頼らないとダメなタイプかもしれません。(爆)

で、その小説の中で今の自分とリンクした部分があったので、シェアします。
その小説の中に出てくる一組のご夫婦があります。旦那様は非常に熱心で技術があり、
遠く山を越えてお侍さんがお願いしにきたり、当時の名高い武家の刀を作ったりする
ようなすごい刀職人です。
奥様とその間の子供、奥様のお父様の4人で暮らしています。
ある時、旦那様は家族が大切に思っている方へ、お護り申し上げる刀を献上しようと
朝な夕なに鍛冶小屋へ籠ります。

「よく斬れるとか、折れぬとかいうのでは、何の役にも立ちはせぬ。お傍へ置かれただけで、
天魔鬼神も近寄れぬ刀でなくてはならぬ。それには崇高無垢であって、鞘を払わずに、
天下が治まり、斬らずして、敵を屈服するものでなければならぬ!」

人を斬る為の刀ではなく、刀の存在で敵を屈服させる、神聖な刀を作りたかった。
しかしながら、技術の高い旦那様においても、そのような刀は一向にできる気配がありません。
日に日に憔悴する夫を見て、本当にできるのかと妻も心配になってきました。
その時に、妻のお父上が一喝します。

お前のそんな心配が見苦しい。夫が一心不乱に、精魂込めてふるう鎚が、
お護りしようとする刀を鍛えずにおるものか!夫と同じ気持ちになって過ごしなさい!と。

「心配」という、一見相手を思う気持ちのように見えて、「作れないのでは?」という疑いの気持ちに変わっていた事を、父上は見抜き、その気持ちに喝をいれたのでしょう。
それから妻も毎日、離れていても同じ気持ちで刀の完成を願うのでした。

三か月ほど経ったある夜、鍛冶小屋から帰ってきた夫は妻に告げました。

…また今日も寸での差でうまくいかなかった、と。

妻はどのようにもいたわり慰めたいのに、言葉が喉を出てこないので、夫の悶え苦しみを
わがものとして、彼女も同じようにやつれています。

しかしながらその夜は、無念な気持ちで鍛冶小屋を出てきたとき、
夫の成功を一心不乱に願う妻の姿を見た彼は、一筋の明かりが胸に射してきたような
気がしました。

長年、斬れ味のよい刀、折れぬ刀をと考えて鍛えていた自分が
天魔も鬼神もよりつかぬ刀を作ろうなど、やすやすと鍛えられないのは当たり前。
容易ならない試練の中に自分は今いるのだと。

そしてその試練とは、自身の心の明かり。自分は今刀鍛冶として一段高いところへ
のぼろうとしている。高いところへ登らなければ、天魔鬼神もさけて通る刀など
作れるわけはない。去年の師走から血みどろになって鎚を振っているのはそのため。
自分は生まれ変わろうとしているのだ、と気づきました。


この話、詳細な部分は想像だと思いますが、実話を元にした小説です。
そして…ネタバレしてしまうと、なんと、その刀は最終的に出来上がりました。
現実の残っているか、どの位の年月がかかったのかまでは調べていません。
そこまで読み進める事ができたらまた調べてみるかも。

苦難の中にいるとき、人はどうしてこういうことになってしまったのかと、
悔やむ時もあると思います。
でもそれが、自身を鍛える試練と転換できると、目の前に見える世界がもっと広く、
明るいものに変わっていくのではないか。
まさに、環境ではなく自分の心で一念が決まるのでしょう。
私自身も、随分悩んだ出来事があったのですが、この小説を読んでいて
前に進む決意が生まれた気がします。



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