またちょこちょこ設定をいじっていたら、何時間も経ってしまいました。
そりゃー眠いわけです。(汗)頭もボケボケしてくるわけです・・。(反省)
今度から、 「記事を投稿してから設定を触る」 ことが真っ当であることに気が付きました。(遅)
先日、邦楽演奏家の常磐津八重太夫さんの寄稿を読みました。
2000年に重要無形文化財の保持者として認定され、今や世界でご活躍されている方です。
プロフィールにありましたが、国内外の出演回数が5000回以上で、芸歴60年だそうです。
す、すごい。。どんな迫力なんでしょう。
そんな常磐津八重太夫さんも、波瀾万丈の人生を歩んでこられたようで、文章を読んでいて
目頭が熱くなりました。
「芸には、王道なんてありません。結局、自分が努力して、毎日毎日、稽古を繰り返し、
命に叩き込んだものしか身につきません。自分の感動を歌詞に移しこんで曲を語る
のにも、それは同じです。自分がさまざまな経験を積んで、苦しんで勉強していくしかないのです。」
どんなに苦しい時も自分の信念を信じ、様々な困難を乗り越えてきた人生だったようでした。
「信念を貫く」と聞くと、“周囲を押し切って”、とか、“孤高に”、とかいうイメージですが、
そうではなくて、謙虚に、誠実に周囲と向き合いながら、信念を強く成長させたように感じます。
「人間性や品格も含め、すべての意味での人間革命こそが、芸の完成につながるのだと、
今、決意を新たにしています。」
「芸術は本来、広く庶民に開かれたもの、一部の人間だけが愛好するもので終わっては
いけないと何度も教えてもらいました」
よくある歌の一説に「芸のためなら女房も泣かす~」なんてありますが、今やもうそんな
時代ではないのではないでしょうか。そんなことをしなくとも、生命が鍛えられる「稽古場」は
他にあると思うのです。
常磐津八重太夫さんの場合は、
「“同苦”の精神こそ、自分の芸を深め磨いていく最高の道だったのです。」
と語っておられます。
この文章を読んで、最初は感動でいっぱいになりましたが、何度も読んでいくうちに
自分の人生の浅深について考えさせられました。
もっと深く、もっと真剣に生きても大丈夫だし、もっと自分自身をみつめ、他者を大事に
できる人生でありたいと切に感じています。
(文責参照元:大百蓮華No.758)
常磐津八重太夫(浄瑠璃、三味線)ときわづやえたゆう プロフィール
1941(昭和16)年、群馬県生まれ。6歳から叔父とともに義太夫の稽古場に通う。小学5年から常磐津を習い、毎日稽古に励む。子どもながらに独特の節回しで古典を語る“語り”の奥深さに魅了され、中学3年の時、生涯“芸の道”に生きようと決め、群馬から単身上京。故・先代家元の常磐津文字太夫師に入門。内弟子として日々厳しい修業に耐え、16歳で歌舞伎の初舞台を踏む。
68年江戸時代から由緒ある常磐津八重太夫を襲名。歌舞伎座、国立劇場をはじめ、歌舞伎の一流舞台に立つ一方、82年には「訪米歌舞伎」団員として、中村歌右衛門、勘三郎らと海外公演に初参加。以来『日本の伝統芸能を世界に知らせたい』との願いは、その後も度重なる訪米、訪欧・中国公演として実現する。07年秋には、3回目の訪中公演を行なう(文化庁助成事業)。
これまでに歌舞伎・日舞、NHK出演・素浄瑠璃など、国内外5,000回を優に越える出演数を誇る。92年の初リサイタルで、常磐津の太夫として初の「文化庁芸術祭賞」受賞。00年6月には、常磐津の正統な伝承者の一人として数少ない常磐津節「重要無形文化財」(総合認定) 保持者となる。
浄瑠璃の太夫(語り手) としては、珍しく三味線も弾きこなす名人で、常磐津節を「弾き語り」で演奏出来る稀な達人として高い評価を受けている。
ウェブサイト
http://members2.jcom.home.ne.jp/yaetayuu/
そりゃー眠いわけです。(汗)頭もボケボケしてくるわけです・・。(反省)
今度から、 「記事を投稿してから設定を触る」 ことが真っ当であることに気が付きました。(遅)
先日、邦楽演奏家の常磐津八重太夫さんの寄稿を読みました。
2000年に重要無形文化財の保持者として認定され、今や世界でご活躍されている方です。
プロフィールにありましたが、国内外の出演回数が5000回以上で、芸歴60年だそうです。
す、すごい。。どんな迫力なんでしょう。
そんな常磐津八重太夫さんも、波瀾万丈の人生を歩んでこられたようで、文章を読んでいて
目頭が熱くなりました。
「芸には、王道なんてありません。結局、自分が努力して、毎日毎日、稽古を繰り返し、
命に叩き込んだものしか身につきません。自分の感動を歌詞に移しこんで曲を語る
のにも、それは同じです。自分がさまざまな経験を積んで、苦しんで勉強していくしかないのです。」
どんなに苦しい時も自分の信念を信じ、様々な困難を乗り越えてきた人生だったようでした。
「信念を貫く」と聞くと、“周囲を押し切って”、とか、“孤高に”、とかいうイメージですが、
そうではなくて、謙虚に、誠実に周囲と向き合いながら、信念を強く成長させたように感じます。
「人間性や品格も含め、すべての意味での人間革命こそが、芸の完成につながるのだと、
今、決意を新たにしています。」
「芸術は本来、広く庶民に開かれたもの、一部の人間だけが愛好するもので終わっては
いけないと何度も教えてもらいました」
よくある歌の一説に「芸のためなら女房も泣かす~」なんてありますが、今やもうそんな
時代ではないのではないでしょうか。そんなことをしなくとも、生命が鍛えられる「稽古場」は
他にあると思うのです。
常磐津八重太夫さんの場合は、
「“同苦”の精神こそ、自分の芸を深め磨いていく最高の道だったのです。」
と語っておられます。
この文章を読んで、最初は感動でいっぱいになりましたが、何度も読んでいくうちに
自分の人生の浅深について考えさせられました。
もっと深く、もっと真剣に生きても大丈夫だし、もっと自分自身をみつめ、他者を大事に
できる人生でありたいと切に感じています。
(文責参照元:大百蓮華No.758)
常磐津八重太夫(浄瑠璃、三味線)ときわづやえたゆう プロフィール
1941(昭和16)年、群馬県生まれ。6歳から叔父とともに義太夫の稽古場に通う。小学5年から常磐津を習い、毎日稽古に励む。子どもながらに独特の節回しで古典を語る“語り”の奥深さに魅了され、中学3年の時、生涯“芸の道”に生きようと決め、群馬から単身上京。故・先代家元の常磐津文字太夫師に入門。内弟子として日々厳しい修業に耐え、16歳で歌舞伎の初舞台を踏む。
68年江戸時代から由緒ある常磐津八重太夫を襲名。歌舞伎座、国立劇場をはじめ、歌舞伎の一流舞台に立つ一方、82年には「訪米歌舞伎」団員として、中村歌右衛門、勘三郎らと海外公演に初参加。以来『日本の伝統芸能を世界に知らせたい』との願いは、その後も度重なる訪米、訪欧・中国公演として実現する。07年秋には、3回目の訪中公演を行なう(文化庁助成事業)。
これまでに歌舞伎・日舞、NHK出演・素浄瑠璃など、国内外5,000回を優に越える出演数を誇る。92年の初リサイタルで、常磐津の太夫として初の「文化庁芸術祭賞」受賞。00年6月には、常磐津の正統な伝承者の一人として数少ない常磐津節「重要無形文化財」(総合認定) 保持者となる。
浄瑠璃の太夫(語り手) としては、珍しく三味線も弾きこなす名人で、常磐津節を「弾き語り」で演奏出来る稀な達人として高い評価を受けている。
ウェブサイト
http://members2.jcom.home.ne.jp/yaetayuu/
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